マラソン世界最長記録は日本人!?金栗四三とは?

今回はマラソンの記録のお話です。

2014年12月時点で、マラソンの世界記録はどのくらいだと思いますか?

男子はケニアのデニス・キプルト・キメットの2時間2分57秒、女子はイギリスのポーラ・ラドクリフの2時間15分25秒です。

では、マラソンの世界最長記録はどのくらいでしょうか?

「マラソンに世界最長記録なんてあるの?」と思われた方、多いと思います。

私もこのような記録があることを最近知ったばかりです。

どのくらいの時間?誰の記録?

まず時間ですが、なんと「54年8か月6日5時間32分20秒3」です!

詳しくは後ほど書きますが、もちろんこの期間ずっと走り続けたわけではありません。

そして、この記録を持っているのは、何と日本人です。

金栗 四三(かなぐり しそう)という選手。

近年は富士登山駅伝や箱根駅伝の「金栗四三杯」で知られる方です。

1912年 スウェーデン・ストックホルム五輪

金栗選手は1912年(明治45年)、ストックホルム五輪に日本人初のオリンピック代表選手としてマラソン競技に出場。

ところがレースが開催された日、ストックホルムは気温が32℃を超す暑さでした。

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出場選手68名中、約半数の選手が途中棄権し、脱水症状がもとで次の日に亡くなった選手もいたとか・・・。

金栗選手も約27kmの地点で日射病のため、意識を失ってしまいました。

そして、沿道の農家で介抱されました。

これは当然「棄権」となるはずですが、大会本部には何かの手違いで棄権の意思が伝わらなかったそうです。

マラソン競技翌日

介抱された金栗選手が目を覚ましたのは、レース翌日の朝。

もちろんレースは終わっています。

金栗選手は目を覚ました後、近くの駅から列車に乗って宿舎へ戻りました。

金栗選手の結果は「途中棄権」ということになりますが…。

行方不明の金栗選手

ところが、競技場へ戻らなかった金栗選手に対して様々な憶測が飛び交いました。

コースの途中にある家でお茶とお菓子をご馳走になって、そのままマラソンを中断したのではないか?

森に迷い込んで、彷徨っているのではないか?

挙げ句の果てに、「森で彷徨っている日本人がいたら、レースは終わったと伝えてください」と呼び掛けた記者もいたとか。

結局、競技委員会は「金栗選手がレース中に行方不明になった」と判断したようです。

ストックホルム五輪開催55周年記念式典

1967年(昭和42年)3月、ストックホルム五輪開催55周年記念式典が行われました。

ストックホルム五輪のマラソン競技では金栗選手からの棄権の意志が伝わっていませんでした。

そのため、「レース中に失踪し行方不明」という扱いになっていました。

記念式典の開催に当たり、当時の記録を調べていたオリンピック委員会が55年前のこの出来事に気付きました。

そして記念式典で「是非、金栗選手にゴールしてもらおう」という機運が高まりました。

当時75歳の金栗選手は記念式典に招待され、55年ぶりにストックホルムを訪れました。

そしてコート姿のまま競技場で約100mの距離を駆け抜け、用意されたゴールテープを切りました。

ゴールテープを切った瞬間、アナウンスがありました。

「日本の金栗が只今ゴール。タイムは54年8か月6日5時間32分20秒3。これで第5回ストックホルム大会の全日程は終わりました」

このときの金栗選手の姿はスウェーデンの公共テレビで放送されました。

今も語り継がれる「消えた日本人」

あるヨーロッパの乳製品メーカーが販売する牛乳のパックに、挿し絵とともに小話が紹介されています。

その小話の一つに「約55年かけてゴールした金栗選手」の話が掲載されたそうです。

ストックホルム五輪の記念館を見学する子供たちは、金栗選手の写真を観て「牛乳パックの人だ」と言うのだとか。

金栗選手の話は約100年経ってもストックホルムの人々に語り継がれているんですね。

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